お金の歴史

日本のお金のはじまりについて

最古のお金は「和同開珎」か「富本銭」か

日本での最古のお金は、中国の開元通宝という貨幣をモデルに708年(和銅元年)に作られた「和同開珎(わどうかいちん、わどうかいほう)」といわれています。

和同開珎は710年に新しく都となった平城京造営に伴う、労賃や資材購入などの支払いのために発行されたと考えられています。

しかし、さらに前の7世紀後半に作られた「富本銭(ふほんせん)」が、奈良県明日香村や平城京跡だけでなく長野県などでも発掘されています。

「富本銭」については、「広く流通した貨幣ではないか」という説のほかに、「まじない用の銭貨」という説もあります。

こちらも今後の研究により、その真偽が判明してくるかもしれませんね。

 

日本で初めての貨幣制度統一は?

和同開珎の誕生以降、10世紀半ば頃まで金属製のお金(銭貨)が発行されましたが、その一方で物品交換の文化も残っていました。

10世紀半ば以降は、銭貨は発行されなくなり、それまでもお金として使われてきた米、絹や麻の布などがその役割を果たしました。

12世紀半ば頃からは、中国の銭貨である「渡来銭(とらいせん)」が日本に流入し、13世紀以降、商品経済の発展とともに人々の間で広く使われるようになりました。

当時は、全国で同じお金を使用していたわけでなく、大名がその地域にだけ通用するお金を発行するなど、価値も違う貨幣が流通していました。

その後、天下統一を果たした徳川家康は、全国の金銀鉱山を直轄化するとともに、貨幣を作る技術を管理し、金貨・銀貨の製造体制を整備しました。

そして、国家として約650年ぶりに、大きさ・重さ・品位(金銀の含有率)などを統一した金貨と銀貨を発行しました。

中世から引き続き使われていた銭貨は、江戸幕府が発行した寛永通宝に統一されました。

徳川家康は、政治において天下統一を成し遂げたばかりでなく、経済においても貨幣統一に乗り出したのでした。

江戸時代には、各藩が幕府の貨幣や米など価値のあるものとの交換を保証し、領内で流通させる「藩札」が発行されました。

藩札の発行は17世紀後半から始まり、明治時代初までに200を超える藩で発行されました。

 

幕末から明治初期のお金を巡る混乱、新貨条例による円(圓)の導入

1958年、日本は米国など5か国と通商条約を結び、海外との本格的な貿易が始まりました。

当初、国内では金が銀と比べ割安となっていたため、金貨が海外へ流出しました。

海岸線の防衛の強化や幕末の政治の混乱が内戦を招く中で、財政支出に充てるため貨幣の発行量が増加し、インフレが進行しました。

明治時代を迎え新政府は、「両建て」の金貨・銀貨・紙幣を発行する一方、藩札の発行も認めましたが、社会の混乱が続き、新政府や藩などが増発した紙幣の価値は下落しました。

こうした中、1871年に明治政府は新貨条例を制定。全国統一の新しい貨幣単位である「円」(圓)の導入を行い、金貨・銀貨・銅貨を発行しました。

また、金銀と交換できる「兌換」を前提に政府紙幣を発行しましたが、政府の手元にある金銀が不足していたことから、その大部分は不換紙幣となってしまいました。

 

中央銀行としての日本銀行誕生

明治時代初期には、海外貿易や国内産業の振興を金融面で支えるため、欧米をモデルにした民間銀行が各地に設立されました。

このうち国立銀行は米国のナショナルバンクをモデルとしており、紙幣の発行が認められていました。

西南戦争の戦費などを賄うため、政府紙幣や国立銀行紙幣が増発され、紙幣価値の下落が進みました。

こうした中、大蔵卿となった松方正義は、銀行券を発行して紙幣の発行を一元的に行い、お金の価値を安定させることを目指し、1882年(明治15年)に日本銀行を設立。

そして1885年には、最初の日本銀行券が発行されました。

なお、1885年から1899年までに発行された日本銀行券は、銀貨との交換が可能な「兌換(だかん)銀行券」として世の中に流通しました。

1899年末には国立銀行紙幣と政府紙幣は通用停止となり、紙幣は日本銀行券に統一されました。

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